一度、この話をしたいと思っていました。ユクスキュルの『生物から見た世界』。

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(左)ユクスキュル/クリサート著、日高敏隆・羽田節子訳、岩波文庫、2005。
(右)ヤーコプ・フォン・ユクスキュル ゲオルク・クリサート
   日高敏隆・野田保之訳、思索社、1973。

同じ本です。

原著は、ヤーコプ・フォン・ユクスキュル Jakob von Uexküll (エストニア生まれの動物学者)が1934年に出版したもの。80年近く前に書かれた本です。

古い本ですが、内容は、

生物は機械ではなく、それぞれ、主体として世界を見て(感じて)、その世界のなかで生きている、

つまり、 それぞれの(種の)動物は、「客観的」あるいは物理的にどういう物がまわりに存在するか、にかかわらず、自分にとって意味のあるものだけを見(感じ)、それがその動物の世界を作っている、

ということを言っています。

例として、本の冒頭に出てくるのは、ダニの世界ですが、

ダニは、目も見えず、嗅覚と温度感覚にたよって、温かい哺乳類の上に落ち、そこで触覚にたよって皮膚の毛のない場所をみつけて、そこに食い込んで血を吸う、そしてその後、地面に落ちて産卵して、死ぬ、それが彼女らの一生です。

つまり、わたしたち人間に見えるいろいろなもの、あるいは、「客観的に」そのあたりに存在するもの、たとえば、哺乳類の形や大きさ、その動物が通ってくる道のようすなど、ダニにとってはなんの意味もなさず、ダニの世界には存在しない、ということです。その哺乳類の「臭い」と温かさ、皮膚のようすが世界のすべてなのです。

人間からみて貧弱であるかどうか、は問題ではありません。

そのほか、ハエや、ウニや、ミツバチなど、さまざまな動物の例があげられています。

ユクスキュルは、「客観的にまわりにあるもの」を Umgebung (「環境」)、その動物が見ている世界を Umwelt (「環世界」(旧訳では「環境世界」)として、区別しています。

(現代の日常的なドイツ語ではそれほど区別がないようだが)

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写真は、ミツバチの環境(上)と環境世界(下)を示した図(『生物から見た世界』、思索社、1973より)

「それぞれの動物」といいましたが、それには当然、人間も含まれます。

つまり、わたしたちが見ている世界は、あくまでも人間が見ている世界(あるいは、その人が見ている世界)であって、客観的でもなんでもなく、他の動物が見ている世界はそれとはちがうのだ、ということになります。

このような世界のとらえ方は、動物学に大きな影響をあたえただけでなく、「環境」とは何か、という本質的な問題に迫るものです。

この見方にたてば、「環境」とは、人間が見ている世界、人間にとって意味のある世界、ということになります。

実際、ヨーロッパでは、このユクスキュルの考え方にもとづいた「景観学」(landscape studies)という学問が発達してきました。この話は、また別の機会にくわしく述べたいと思います。

ここでは、他の動物のことを人間を基準に考えてもわからない、つまり、それぞれの動物にはそれぞれの世界があるのだ、ということを言いたいために、ユクスキュルの話をしました。

ユクスキュルが、このような考えを最初に発表した人だからです。
(ローレンツらが確立したエソロジー(動物行動学)も基本的に同じ考えに立っています)

すでに読んでいらっしゃる方も多いとは思いますが、まだの方は、ぜひごらんください(2005年版のほうが少し読みやすいでしょう)。

(AM)